「事実は小説よりも奇なり」ということばが示すように、フィクションがあふれた世の中でも、私達を驚かすような出来事は数多くあります。こちらの連載では、シカジョの皆さまから寄せられた臨床現場での驚き体験をご紹介していきます。
「あれ?この患者さんって、あの時の…」。そんなことが思い当たるかもしれません。
都心にも程よく近い、コンパクトで落ち着いた街に、頼れる歯医者さん『メディちゃんデンタルクリニック』はあります。そこで働く明るく元気な歯科衛生士、三楢井しい(仮名・ミナライ シイ)。
無口で照れ屋、だけど優しい鹿石院長(仮名・シカイシ インチョウ)と、頼れる先輩衛生士の永聖寺あい先輩(仮名・エイセイジ アイ)と日々楽しく診療に励んでいます。いつも笑いが絶えない職場で働く三楢井さんですが、そんな彼女が唯一抱えているモヤモヤ、それは――
「ここに来る患者さん、なんか変じゃないですか!?」
一癖も二癖もある患者さんに翻弄される三楢井さんの一日を覗いてみましょう。
第3話 あやちゃん
穏やかな診療日の昼過ぎ、午後の診察受付が始まりました。
今日は予約もまばらなので、カルテや備品のチェックでもしようかと考えている三楢井さん。
突如、聞いたことも無いコール音で電話が鳴り響きました。
「きゃ!は、はい、メディちゃんデンタ……、もしもし?もしも~し」
受話器をあたふたと取るも、つながることも無く、プツリと切れてしまいました。
「鹿石院長、電話の調子がなんだか良くないみたいです」と院長に目を向けると、
蒼白の面持ちの鹿石院長が「エマージェンシーコール…」と、ぽつり。
「院長?」。いつになく険しい表情の院長に、どうしたのかと尋ねようかと思ったその時、勢いよく入り口が開きました。
「こんにちはー!」
いつも元気に挨拶してくれるこの患者さんは、2年ほど矯正治療で通ってくれているあやちゃん。
今日は予約が入っていないはずですが、息を切らしてどうしたのでしょうか。
「あやちゃん、こんにちは。予約までまだ日があるけどどうしたの?どこか痛い?」
「あのね!いつも口にはめてる装置、クロに持っていかれちゃったの!」
「クロ??」
「そう!新しいオモチャだと思ったのかも~。お母さんが早く歯医者さんに行きなさい!っていうから走ってきたの!」
一生懸命伝えようとしてくれるあやちゃんのお話しを聞いていると、後からバタバタと慌てた様子のお母様がいらっしゃいました。
「突然すみません!予約はしてないんですけど、緊急事態かと思って!この子、矯正装置を失くしちゃったみたいなんです!」
「あやじゃないよ!クロが持ってったの!!」
あやちゃんが使っている矯正装置は拡大床。早く再セットしないとせっかく動いた歯がもとに戻ってしまいます。また、紛失が原因で装置を作り直す場合は再製料をいただかないといけません。
「なくされたのは外出中ですか?もしご自宅であれば、もう一度しっかり探された方が良いかもしれません」
「ええ、失くしたのは自宅なのですが…」
「ご自宅ですか!先ほどあやちゃんから、クロちゃんが持っていってしまったと伺ったのですが、ご自宅なら希望がありそうですね!」
「クロはうちで飼っている猫なんです。あやが言うには、おやつを食べる時に装置を外したら、一瞬のスキをついてさらっていってしまったそうで…」
「いたずら好きの猫ちゃんですね~。可愛い~♡」
「可愛いです、可愛いんですけど…クロが持っていった物は今まで一度も出てきたことがないんです!今回もおそらく見つからないので、再製してください…」
「装置新しくするのー!?どんな形?どんな色?教えて教えてー!」
天心爛漫なあやちゃんは、新調する装置にも興味津々ですが、この後は残念ながらあやちゃんの苦手なアルジネート印象が待ってます。
「ピンクのベトベト、いや~!!」
院内にいる他の患者さんにも応援されながら無事に印象がとれました。
昨日、歯科衛生士向けメディア「Ci For Woman」で「小児診療のコツ」を読んだばかりだったので助かったと、ホッと胸を撫で下ろす三楢井さん。
あやちゃんも、ベトベトが嫌だからもう絶対にクロちゃんに装置を取られない!と、意志を固くしてくれたようです。
「本日をもって院長職を退く」と鹿石院長から爆弾宣告が出たのは、あやちゃんを見送ったその直後。
落ち着き払った永聖寺先輩とは対照的に、三楢井さんは大パニックです。
なんでも、町の歯科医師を隠れみのとしAI反乱軍から国家口腔衛生計画を守るという特殊任務を遂行していた鹿石院長。しかし、マイナ保険証の利用により足がつき、「8020推進機密情報」をマイクロチップに託し、やむなくあやちゃんの矯正装置に埋め込んだのだそう。
「クロちゃんは、おそらく反乱軍にコントロールされた猫型ロボSpotCatだ」
このままだと国家プロジェクト「8020推進計画」がAI反乱軍に阻止されてしまうため、特務機関への出動要請が「エマージェンシーコール」としてかかってきたといいます。
「君たちと過ごした日々は本当に楽しかった。三楢井さんもずいぶん成長したね。明日から後任の院長が赴任する。院長とこのクリニックを支えてくれ。何しろここの患者はこのクリニックが大好きだからね」
『メディちゃんデンタルクリニック』は、町の頼れる歯医者さん。
鹿石院長が引退後も、永聖寺先輩や三楢井さんが地域の歯科口腔保健を支えてくれるでしょう。